2016年4月29日金曜日

クロマルハナバチの飼育事業に板橋区が深く関与してきた事を示す陳述書

阿部宣男博士(以降、阿部氏)が板橋区を懲戒免職処分になった理由の一つに、クロマルハナバチの飼育に関する契約を区の意思決定を受けずに行った事が挙げられています。区のホームページには以下のように記載されていました。(赤字は引用者による)
ここでは、板橋区の「全てにおいて区の意思決定を受けずに行った行為」という主張が極めて怪しいことを示す陳述書の内容を紹介します。
3 事実概要
◇平成21年7月
 A事業者との間で在来種クロマルハナバチ(以下「ハチ」という。)飼育に関する「業務提携契約書」を締結。
◇平成23年4月
 A事業者及び財団法人Bとの間で、ハチの「売買契約書及び秘密保守契約書」を締結。これに基づき、ホタル生態環境館施設において、区の本来業務でないハチ飼育をA事業者に認めるなどの便宜を図り、自らもハチの生態確認作業等を行った。
・・・<略>
これらは、当時、板橋区ホタル生態環境館勤務であった被処分者が、全てにおいて区の意思決定を受けずに行った行為である
この内、「売買契約書及び秘密保守契約書」は、イノリー企画と財団法人能登町ふれあい公社の間で結ばれた契約です。この契約書は不思議な構造を持っています。基本は、能登町がイノリー企画からクロマルハナバチを買って代金を支払う契約ですが、阿部氏が売買対象のハチの品質確認や休眠処理の責任を持つことになっています。ところが、阿部氏に対する報酬は定義されていません。要するに、阿部氏は作業と品質責任だけ負って、何も得になることが無い契約なのです。

この構造を見るだけで何か裏に事情があったのだろうと推定できます。事情がなければ、一方的に作業と責任だけを負う契約を結ぶ筈がないからです。

名誉毀損裁判の被告である松崎いたる区議が一方的に公開している証拠書類の中に、この「事情」をたいへん明快に説明している陳情書が含まれていました。これは、阿部氏が板橋区を訴えた裁判に阿部氏が提出したもので、これを名誉毀損裁判にも阿部氏が提出したのです。

この陳情書は「事情」を明快に説明するだけでなく、能登町で行われた在来種のクロマルハナバチを飼育販売する事業が、どのような経緯をたどって企画・実行され、そして最終的には休止せざるを得なくなったのかを簡潔に示しており、この事業に賭けた人たちの思いや事業の難しさを垣間見ることができます。素晴らしい資料になっていると思います。

ここでは、この陳情書のほぼ全文を引用しながら内容にコメントします。元の陳情書には、著者の氏名のほか、多くの個人名がそのまま記載されています。そのため、元の陳情書のURLや文書名を敢えてここには載せません。また、プライバシーを尊重し、ここでは坂本健板橋区長と阿部氏の名前以外はすべて伏せました(2文字の英字に置換しました。例えば、大文字AAは姓名を示し、小文字aaはAAの姓だけを表します)。このような置換処理のために、ほぼ全文の引用という形になったことをご理解いただければと思います。

第1章には、自己紹介とこれまでの経緯が簡単に記されています。この陳情書は能登町側で働いておられた人によって書かれた事が分かります。また、能登町と板橋区の交流がハチの飼育販売事業を通じて複数年にわたって続いていたと簡潔に述べられています。なお、赤字はすべて引用者によります。
1 はじめに 
私は、平成19年から平成24年までの問、能登町ふれあい公社(以下単 に「公社」といいます) の職員として、日本の在来種であるクロマルハナパ チの飼育、販売事業に取り組み、平成21年に能登町クロマルハナバチ試験飼育生産施設ができてからは、その所長をしておりました。 
残念ながら、平成24年3月をもって、ハチの出荷は休止となり、私は、 その後、公社を定年退職して、農業をしております。 
公社がハチの事業を行うにあたっては、板橋区の協カ、すなわち、板橋区ホタル館の阿部宣男氏(以下「阿部氏」といいます)の知識が不可欠であり、 事業に当たっていた当時は、ハチを製品化させるために、飼育環境、輸送方法等、ハチの飼育のための一切を、逐一指導を受けながらやっておりました。 
能登町と板橋区との交流は、ハチの事業を通して何年も続きました。現在は休止しておりますが、ハチの事業を実施できたのは、板橋区の協力があってのことだったと理解しております。 
これから、ハチの事業を始めた経緯や公社の取り組み、板橋区との関係について、私が記憶していることを説明いたします。

第2章には、能登町が日本の在来種であるクロマルハナバチの飼育販売事業を始めた契機が書かれています。初めての事業に対して、やるなら「一番初め」にやろうというベンチャー精神で、スピード感をもって事業化に取り組まれた様子がよく分かります。また、この時点で、板橋区のホタル館はクロマルハナバチの飼育技術を持つと自治体の中で認識されていた事が分かります。
2 クロマルハナバチ飼育・販売事業の着手に至る経緯 
ハチの試験飼育・販売事業の事業主体となる「財団法人能登町ふれあい公社」は、現在の能登町に町村合併 (平成17年)する前の能都町、柳田村、 内浦町の各町村にあった公社が、町村合併翌年(平成18年) に合併し発足 したもので、主に能登町から委託された業務を行っております。 
私は、もともと旧柳田村の役場の職員でしたが、退職し、旧柳田村産業開発公社職員となり、ハチの事業が始まる前は、公社が運営するモデル農場で ブルーベリーなどの果樹やトマトなどの野菜の試験栽培を行って農家に情報提供をするなど、地元農家を育てるための事業をしておりました。 
公社がハチの試験飼育、販売事業に着手したのは平成19年度からですが、 計画が持ち上がったのは、前年度平成18年の11月頃、私の職場に、能登町の役場から職員が2名来て、ハチ飼育販売事業をやらないか、と持ちかけてきたのが始まりです。 
当時、私は、ハチを育てる、ということについては、全く知識もありませんでしたし、しかも、日本の在来種であるクロマルハナバチを飼育する、ということにどういう意義があるのかについての理解もありませんでした。 
また、話を持ちかけてきた役場の職員もよく分かっていないようでしたが、 その職員の話では、同じ石川県内の金沢市にある会社が、ハチの飼育に関する特別な知識・技術を持っている板橋区の事情を知っているということでした。 
そこで、早速、役場の職員と一緒に、その会社に話を聞きに行き、次いで、 直ぐに、平成18年12月中に、板橋区のホタル施設を見学に行って、ハチの飼育技術の開発者である阿部氏に話を聞きに行きました。 
その際、阿部氏からは、日本の農業において海外から輸入されて広く使用されているセイヨウオオマルハナバチは、日本の生態系に悪影響を与えるとして、その年に、特定外来生物に指定 (平成18年9月)されており、将来、 輸入が禁止される可能性があること、そのセイヨウオオマルハナバチの代わりに日本の在来種であるクロマルハナバチを育てて全国の農家に使って貰うことで、日本の農業を救うことになるという話を伺いました。 
そのとき既に、他県の自治体等も、ハチのことで施設に視察に訪れており、 能登町は3番目の自治体ということでしたが、他の自治体はいずれも、実際に事業に着手してはいませんでした。 
私は、ホタル館で阿部氏の話を聞き、やるんなら全国で「一番初め」にや ってみようと思い、視察から帰って直ぐに翌年度(平成19年度)からの事業として復命書を起案し、ハチの飼育、販売事業に着手することになりまし た。
第3章には、クロマルハナバチの飼育販売事業を立ち上げるために、板橋区と密接な協力関係を構築した様子が具体的に書かれています。能登町からホタル館に研修生を派遣して学ばせたり、板橋区長に対して公式な技術支援依頼を出したりしていた事が分かります。また、能登町のために飼育されていたクロマルハナバチは、能登町で採取されたものであったことも語られています。
3 事業に着手して板橋区との協力関係を構築 
(1) 研修生の派遣 
ハチの飼育、販売事業を始めるといっても、当時の私たちには、そのノウハウも、人材も、物的施設も全くなく、一からのスタートです。事業着手にあたって、まずは、ハチ飼育の実態や、技術を学ぶ必要があります。そこで、 公社職員を、ハチ飼育の現場で研修させることが必要ということになりました。 
研修先は、阿部氏と一緒にハチの飼育技術を開発したcc氏が在籍する武蔵野種苗園に公社職員であるAA(以下、「aa」といいます。)とBB (以下、「bb」といいます。)を送り出すこととなりました (正確に言えば、研修先は基本的に武蔵野種苗園ですが、ホタル館においても、武蔵野種苗園の研修生の立場で、ccさんや他のボランティアと共に、ハチ飼育に関する様々な作業を通して、飼育技術やハチの生態を学ぶという形式になり ます。)。 
研修前の平成19年3月には、aaとbbに、ホタル館と武蔵野種苗園に 視察に行かせ、その後、aaを平成19年4月から、bbを平成19年10 月から、それぞれ1年間、研修生として送り出し、ハチの飼育技術や、公社で事業を行うためにはどのような設備が必要か、について学んできて貰いま した。 
研修をさせるためにかかる費用については、意義ある新たな事業に着手するために必要な資金として、能登町では、地域の町おこしのために信託してある資金を使う制度(エンデバーファンド21) がありましたので、それをまずは利用しようということになりました。 
このように、人材を送り出し、予算もついて、いよいよ事業が動き出すこととなりました。 
(2) 板橋区による協力のもと阿部氏の技術指導を受ける 
能登町(ないし、その委託を受けた公社)では、早くから、武蔵野種苗園から冬眠処理された女王蜂を仕入れ、公社で働き蜂を育てて製品化し、神戸にある小泉製麻という会社を通して販売する、という事業スキームを描いて、 何度も三者(能登町及び公社・武蔵野種苗園・小泉製麻)で協議を重ねてきました。 
三者協議では、飼育資材等の調達方法や、女王蜂輸送方法、飼育・出荷の方法、時期、三者間の契約内容、代金決済の方法、セイヨウオオマルハナバチの輸入制限等、専門技術的なことから営業戦略的なこと等、様々なことが議題に上がりました。 
しかしながら、この事業に必要不可欠なのは、女王蜂や働き蜂を育てて、 製品化する等の専門的知見に基づく技術であり、この事業スキームは、板橋区ホタル館の阿部氏の専門的な技術指導がなければ成立し得ません。女王蜂を仕入れる際の輸送方法、働き蜂を産ませ、製品化させる環境作り、製品化した後の出荷方法、製品化できなかったときの原因追及、いずれも、専門的な知識のない私たちだけでは、とてもやれないのです。 
そこで、能登町は、平成20年5月に、町長名で板橋区長に対して、改めて在来種マルハナバチの飼育繁殖についての技術協力を依頼しており (甲1 1)、その後、阿部氏から継続して支援を頂き、再度、平成20年8月に研修生をホタル館に派遣するなど、多大な協力を頂きました。 
実際、武蔵野種苗園から送って貰った女王蜂が届いたときに死んでしまっていたり、施設で育てている途中で死んでしまったり、働き蜂を生んでくれ なかったり、製品化できたと思ったハチが働いてくれなかったりと、中々思うようにいかず、しかも、その原因が分からないことが多々あり、 その度に、 私たちは、しょっちゅう阿部氏に電話等で相談し、公社からホタル館に死亡個体を送って原因を調べてもらうなどご対応頂きました。 
また、そもそも女王蜂を無事に東京から能登へ輸送すること自体も大変難しい課題の一つでしたから、輸送するケースの適温は何度で、その適温に保つためにどう工夫するか等、気温の異なる季節毎に、女王蜂の輸送に適した方法を編み出すために試験輸送を行う必要があり、当然、その試験輸送をする際には阿部氏に頼らざるを得ませんから、ホタル館と公社とで何度も荷のやりとりを行いました。 
試験輸送は、具体的には、阿部氏の指導の下、輸送中の温度の変化を常時記録できる温度計を輸送に使う箱の内部にセットし、箱にホッカイロを貼り付けるなどして温度調節をしながら何度も荷を送ってデータをとり、季節毎の輸送方法を考案しました。従って、武蔵野種苗園からホタル館にクロマルハナバチが届けられ、このハチをホタル館から公社の方に送って もらったこともあったと思います。 
その他、公社では、平成20年度から、ハチを飼育するための設備を整えるために廃校となっていた小学校校舎を改修することとなり、平成21年3 月に、一部設備改修を終え、小規模ながら一通りの飼育ができる施設を開設しましたが、その施設でいよいよ飼育を始めるという記念の開始式(3月8日)には、能登町町長から板橋区長に依頼して、忙しい阿部氏に講演に来てもらいました(甲19)。 
なお、私たちが今回の事業の中で供給を受けていたクロマルハナバチはbbやaaが能登町で採取し、それを武蔵野種苗園が事業用に飼育していたものであり、私たちの側から武蔵野種苗圏に提供したハチが累代飼育されたものです。ですから、私たちもホタル館にクロマルハナバチがいることは知っ ておりますが、ホタル館で飼育されていたハチが私たちの事業に提供されることはありませんでした。その点は誤解のないようにしていただきたいです。 
(3) 板橋区との交流が深まり、エコポリス協定の締結を目指す 
板橋区とは、ハチの事業に関する支援を通して交流が生まれ、平成20年の7月に、ホタル館で開催されたホタルの夜間公開にも招待頂き、能登町か らは、能登町長をはじめ、公社職員のbbが参加しました(甲16)。 
確か、夜間公開の入り中の机には、能登町を紹介するパンフレットを置かせて頂いたとのことです。 
公社から参加したbbからの事務連絡によれば、その夜間公開後の反省会には、板橋区から、坂本健区長の他にも何人も同席し、1、2時間ほど話を し、能登町長と板橋区長は固い理手を交わし今後の継続的な協力関係を約束したと聞いております
また、その年の10月には、能登町議会の産業経済委員会のメンバーがホタル館に視察に行っております。 
そして、平成21年の7月頃、能登町の職員から、能登町と板橋区とでエコポリス協定を結ぼうという計画が持ち上がり、協議を行なっている、との話を聞きました。協定を結ぶのは公社ではなく、自治体である能登町ですから、担当していたのは役場のddという職員です。 
エコポリス協定とは、クロマルハナバチの飼育生産に関する業務をきっかけとして、環境問題に対する取り組みについて協力し合うことを目的とした協定で、結局、締結には至らなかったようですが、協定締結に向けて数ヶ月に亘り協議をしていたようです。
そして、その後も、平成22年に、 能登町から板橋区に対し、若い二人の能登町ふれあい公社職員の研修をお願いし、快く引き受けてもらっております。 
(4) ホタル館訪問について 
なお、下記は、本件訴訟でも提出されているというホタル館の業務日誌 や業務実績の資料から確認 された公社の職員や能登町の職員がホタル館を訪問した日時とのことですが、その他にも、少なくとも平成20年10月 21日、11月27日、平成21年4月16日、5月27日の4回、私自身がホタル館を訪問しております。 
この内、 能登町の職員が公社の職員を同行させずに行くことは、私が記憶する限りありませんので、能登町とだけ記載のあるのは、私を含む公社 の職員が同席しております。 
この他に、毎年のように研修生を受け入れてもらっていることは先ほど 説明したとおりです。 
本格的に飼育販売事業が始まる直前の平成22年や平成23年は、ホタル館を訪問して打ち合わせ等を行なう際、毎度、次回の訪問日を決めておりました。 
能登町や公社が板橋区のホタル館を頼りにしており、一体となって事業に取組んでおり、継続的な関係があったことが分かると思います。
平成20年 1月30日 能登町 持木町長
 5月16日 ふれあい公社 ee氏他2名
 7月29日 能登町 持木町長
 9月21日 ふれあい公社 ff氏
平成21年 1月19日 ふれあい公社 ff氏他2名
 5月 8日 能登町 gg課長他1名
平成22年 1月23日 ふれあい公社 ff氏・bb氏
 4月28日 能登町 dd係長他2名
 6月 4日 ふれあい公社 ff氏他1名
 10月 9日 ふれあい公社 ff氏他1名
平成23年 1月29日 能登町 gg課長他2名
 2月23日 能登町 hh課長他4名
 4月20日 能登町 hh課長他3名
 5月12日 能登町 hh課長他3名
 9月29日 能登町 hh課長他3名
(5) 板橋区との協力関係 
このように、能登町は、板橋区の区長に対してハチ事業に関する協力を依頼しており、板橋区は、これに応えて、公社職員の研修の受け入れや、阿部氏による技術指導など、継続的な協カをしていただいておりました。 
そして、このハチ事業の協力関係を通して、町議会、町長が、板橋区の職員や区長と、数回交流を重ね、理解を深めてきました。 
ですから、板橋区は、当然、能登町(その委託を受けていた公社)が取り組むハチ事業の内容、その仕組みについては十分に理解していたはずです。 
また、私たちは、先ほど説明したとおり、ハチの飼育販売事業を推進するにあたって、長期間にわたって継続的に阿部氏から指導を受けておりました が、この指導を受けるにあたっては、板橋区が能登町の事業をご理解のもと、 区として協力してくれているとの認識でおりました
第3章まではクロマルハナバチの飼育販売事業が順調に立ち上がるかに見えたのですが、第4章で状況が暗転します。ビジネスがうまく進まない状況に大震災が追い打ちをかけ、武蔵野種苗園が女王蜂生産の事業から撤退したのです。能登町の事業継続のために、女王蜂供給を担う組織体が必要であり、かつ、板橋区ホタル館の裏付けが必要という事情が重なって、冒頭の契約書ができた経緯が活写されています。板橋区長自らが協力を約束していた事業に対して、イノリー企画を代打とする策を板橋区が全く関知していなかったとは、とても考えられないと思います。
4  武蔵野種苗園の撤退 
私たちの事業は、武蔵野種苗園から冬眠処理された女王蜂を仕入れ、働き蜂を生ませ、育てて製品化する、というスキームで営業を予定していたことは、先ほど説明したとおりです。 
そして、女王蜂を冬眠処理する専門的技術を持っているのは板橋区の阿部氏と武蔵野種苗園のcc氏のみであり、当時、私たちが冬眠処理した女王蜂を調達できるのは武蔵野種苗園だけでした。 
しかし、平成23年度から本格的な事業開始を控えていた平成22年秋頃から、武蔵野種苗園がハチ事業から撤退する、という話を聞くようになりました。 
私たちは、平成20年度、21年度と2年間で3億円の費用を投資し、ハチの飼育施設を完成させておりますが、その費用の半分は、国士交通省の補助金によるものです。 
国から補助金をもらい、多額の費用を掛けて施設を改修し、また、ホタル館での研修等によって人材も育成し、時間をかけて試験飼育を行って、いよいよ翌年度から本格的に事業を始める、という状況となっていたにもかかわ らず、女王蜂の唯一の仕入れ先である武蔵野種苗園が撤退することとなれば、事業は頓挫し、これまでかけてきた費用や時間、関係者の努力が無駄になってしまいかねません。 
それはなんとしても避けなければならず、私たちは、事業の継続に向けて、 武蔵野種苗園が撤退となった場合に女王蜂の仕入をどうするか、について阿部氏に相談しました。 
阿部氏は、能登町の事情をよく理解して頂き、親身になって相談に乗って頂きました。最初は、板橋区の方で供給事業が出来ないか、と働きかけをしてくれているようでしたが、結局、やはり板橋区が供給するということは難しいようでした。 
そして、平成23年3月11日に起きた大震災で武蔵野種苗園の撤退が決定的となり、その後、阿部氏と相談する中で後任として候補に挙がったのが、「イノリー企画」という団体です。 
「イノリー企画」は、武蔵野種苗園の元パートであり、長年、当時ホタル 館でボランティアをしていたII氏 (以下ii氏といいます) が、過去に別の目的で立ち上げた団体であり、その頃は活動の実態はなかったようですが、阿部氏からはこれまでと同様、引き続き技術指導を得られる見込みであり、また、武蔵野種苗園やホタル館で研修をしていたaaやbbは、ii氏と面識がありました。 
私たちとしては、他に選択肢はなく、イノリー企画・ii氏に、後任をお 願いすることとなりました。その際、武蔵野種苗園との契約では、女王蜂1 匹の代金として7, 000円をお支払いしておりましたが、イノリー企画との契約では、値下げをお願いし、1匹あたり4,500円で購入することとなりました。 
ただ、供給業者が武蔵野種苗園から無名の「イノリー企画」という団体に代わることについては、私たちの側にーつの懸念がありました。
というのも、公社が平成23年度のハチの飼育販売事業を行うにあたっては、能登町から補助金をもらうことになっていた関係で、事業計画を対外的に説明できるものにしなければなりません。 
武蔵野種苗園は、事業着手当初の公社からの研修生の受け入れ先であり、 公社とは、ハチの事業のために、これまで何度も協議を重ねていた実績があります。また、阿部氏とハチの共同研究をしていたcc先生も在籍しておりましたので、武蔵野種苗園から休眠処理した女王蜂を仕入れるにあたっては、 阿部氏らの特許技術を利用できる根拠がありました。 
しかし、後任のイノリー企画は、その時点では名も知れぬ団体で、ii氏もハチの専門家ではありませんので、阿部氏らの特許技術を利用し、休眠処理を施した女王蜂の供給できる事業者であると対外的に説明できるようにするには、阿部氏と関係がある事業体であることを、形として書面で示す必要があると考えました。 
そこで、イノリー企画が、休眠処理した女王蜂を供給できる信用できる事業体であることを対外的に説明できるようにするため、イノリー企画と阿部氏との業務提携契約書を作るよう阿部氏にお願いし、イノリー企画に、ハチの飼育に関して実績があるように示すため、その契約書の日付を、平成21年7月1日に遡らせて作成して貰いました(甲33)。 
能登町としても、内部の者は、実際には日を遡らせて作成したものであることは分かっておりましたが、あくまで、対外的に体裁を整えるためのものに過ぎません。 
さらに、イノリー企画との売買契約書及び秘密保守契約書において、これまでと同様に、阿部氏から技術指導を受けられることを示すため、阿部氏の立場を記載してもらうようお願いいたしました(甲30)。私たちは、この書面の作成をもって、阿部氏に、それまでとは違ったことやそれまで以上のことを依頼したものではなく、板橋区のご理解のもとで阿部氏からご指導ご協力項いていた内容を、そのまま形として残したに過ぎません。 
以上が、阿部氏とイノリー企画との「業務提携契約書」作成の経緯、及び、 公社とイノリー企画との「売買契約書及び秘密保守契約書」に阿部氏の名前 を入れさせてもらった経緯であり、いずれも、私たちの方から、事業を継続するために先生に依頼して作って貰ったものです。 
もちろん、公社の側としても以上の事情を板橋区に隠す必要はありませんし、かえって武蔵野種苗園の撤退が話題になってからどのような形態で継続 できるかを議論させていただいていたのですから、当然板橋区にも事情が認織されてこのような契約の形態が出来上がったと理解しています。当然、阿部氏の上司にも伝わっていた事情と思っておりました
最後の第5章では、クロマルハナバチの飼育販売事業を休止する苦渋の決断をした経緯が語られています。そして、最終段にあるように、板橋区も合意の上で進めていた能登町のクロマルハナバチ飼育販売事業への協力を「正面から推進しようとしていた人物(=阿部氏)を切り捨てるとはい ったいどういうことなのか」、私も真実を知りたいと思います。
5 販売開始後、出荷休止に至る経緯 
私たちが販売したクロマルハナ蜂はよく働くと、実際に使用した農家からは好評でした。 
ただ、本格的に営業を始めた平成23年4月以降も、事業としては決してうまくいっていませんでした。 
私たちは、イノリー企画から女王蜂を仕入れ、3ヶ月後に女王蜂1匹当たり働き蜂50匹を育てて製品化し、この50匹を1群として、1万6800 円で売却しますが、女王蜂を仕入れても3ヶ月後にその全てが製品化できるわけではなく、製品化できる割合(製品率)は、なかなか期待通りにはいきませんでした。 
季節によって製品率は異なり、9月、10月、11月の製品率は50〜60%程でしたが、悪いときは22、23%のこともあり、安定して製品を納入する能力という点で、十分とはほど遠い状況だったのです。 
また、当初の予想に反して、 安価で購入できる外来のセイヨウオオマルバチの輸入が続き、使用が引き続き認められておりましたので、高額なクロマルハナバチを購入する農家はなかなか増えず、3ヶ月後の販売を見込んで女王蜂を仕入れ、製品化したにも拘わらず、予定通りに売却できないとい うこともありました。 
私たちは試行錯誤を繰り返しましたが、能登町に対して平成24年度の予算要求をする平成23年10月、11月になっても、採算が取れない状況が 続き、結果、平成23年12月頃には、能登町の監査委員の意見もあり、平成23年度をもって休止せざるを得ないということとなりました。 
本格的な販売を始めてわずか1年で休止することについては色々な意見もあり、実際に飼育に取り組んでいる人の中には、在来マルハナ蜂の飼育販売事業は日本の自治体では初めての取り組みであり軌道に乗るまで時間がかかるのもやむをえないとして、休止に消極的な意見もありましたが、結局、当 時の状況から、当面は収益の見通しが立たないということで、休止となってしまいました。 
私たちは、日本の在来種であるマルハナ蜂を育て、農業に活かそうという想いで事業に取り組んでおりましたが、その目的が道半ばとなったこと、は大変に心残りです。 
そして、そればかりか、今回なぜ阿部氏がこのような処分を受けることなるのか私には不思議でなりません。板橋区の環境面でのすばらしい評価を全国に知らしめていたのは阿部氏にほかなりません。私たちはホタルもさることながら、日本の農業を根本のところで支えたいという阿部氏の強い気持ちを理解しておりましたし、だからこそクロマルハナバチの事業を進めよう とする能登町・公社の取り組みに真塾にご協力をいただいたのだと理解して います。その意義を正面から推進しようとしていた人物を切り捨てるとはい ったいどういうことなのか、私も知りたいと思っています。私は阿部氏が間違ったことをしたとは思えませんし、かえって作成日を遡らせた文書をつくってもらったのはこちらにも要因がありますから、そのことを理由にされるのは理解できません。当時のイノリー企画登場の経過とそうせざるを得ない状況は板橋区も十分にご承知だったはずです。 
少なくともクロマルハナバチの事業に関する処分理由には私は納得できま せん。
以上


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