2015年2月15日日曜日

1992年に報道された板橋区によるホタル見殺し事件

Twitterで菅野政治さんが1992年にあった出来事を教えてくれました。
(なお、写真中に「朝日新聞1992年10月22日朝刊」とありますが、「夕刊」が正しいとの訂正をいただいてます) 【追記】Twitterの公式な引用方法に変えました【追記終了】

この新聞記事の冒頭には以下のように記されています。
都会のマンモス団地に潤いを与えようと、ホタルの人工飼育をしていた東京都板橋区高島平の区立温室植物園が、今年6月末に閉園した時、幼虫やサナギ十数万匹を室内に置き去りにしたため、ほとんどが死んでしまったことが22日、わかった。4月下旬には、水槽にいた9万匹が死んでおり、計二十数万匹死んだことになる。
「人間の勝手で小さな命を奪い取った。非常に残念だ」。担当職員は自ら、管理日誌に悔しい思いを記している。
そして、記事の最後には、菅野政治さんが確認されたのと同様の回答を区の課長がしています(文中の個人名は○○に修正しました)。
担当の同区みどりの課の○○課長は「移転措置を考えなかったのは、落ち度といわれても仕方ない。しかし閉園せずに、幼虫の飼育をそのまま続けたとしても、従来のように次々と成虫にかえったかどうか、わからない。ウチは昨年までうまく育てたが、通常はかなり死ぬものだ」と話している。
どうせ死ぬんだから移転などしなくても良いと言わんばかりの本音が垣間見えるようです。

この報道の後、冒頭に出てきた担当職員が、窮地からホタル幼虫を救い出して、再びホタルを育てる場所を見つけたのが、板橋区ホタル生態環境館だったのです。

以上

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